人は馬鹿にできているから、期待するのをやめよう

私はよく、「Aを言おうとして、Bを言う」ことをしてしまいます。

 

例えば、「シャーペン」という文字を見ていたとします。すると、作業中、ボールペンが欲しくなり、誰かに「ボールペンちょうだい」と言いたいとき、「シャーペンちょうだい」と言ってしまいます。

 

このとき、私は、自分では「ボールペン」と言っているつもりで、指摘されてからやっと気づきます。

 

頻繁とまでは言いませんが、ちょいちょいやってしまうミスです(幸い、仕事の重要なところでは注意を払っていますので、このようなミスはやったことはありません。いつかするかもしれないと戦々恐々としていますが……)。

 

これで「人は馬鹿にできている」と言い切るなんて……あなたが馬鹿なだけではないですか?という声が聞こえてきそうですが、私は、他人も十分に馬鹿であると思っています。

 

いくつか例をあげていきます。

 

・怒っても何も解決しないのに、怒る人が多い。更にその怒りで過去の様々な不愉快な思いを掘り起こし、怒り続けることもある。

 

・状況は変わっていないのに、そのときの気分によって態度や言うことがコロコロ変わる。

 

・その人が忙しいのを気にもかけず、平然と自分の分からないことをその人に調べさせ、その人の時間を奪い、更には自分は定時で帰る。

 

・自分の思うような態度や行動をとらなかったら不機嫌になる。

 

・相手の話を聞かず、持論だけを押し付ける。

 

・自分の意見を一般化し、全体の意見だと仮装して押し付ける。

 

・自分が世界の中心だと思っている。

 

程度の大小はあれ、人間は上記の性格を持っていると思います。

 

いや、私の知っている〇〇さんはそんなことはない。自分の価値観を押し付けないし、怒ったりもしない。と言う人もいるかもしれません。

 

しかし、その〇〇さんも、元は上記の性格を持っていたと、私は考えます。いや、実際は今も持っていると思います。人間の初期状態は、上記の性格を持って当然だと思っているからです。

 

なぜそのような結論に至るかと言うと、人間は、私が世界の中心で、周囲の人間が私の望むことをしてくれると期待しやすい生き物だと考えているからです。その理由は単純です。

 

現に、人間は、赤ん坊のとき、そのように生きてきたからです。赤ん坊に、自分の世話は自分でしなさいという人間はいないでしょう。もし全人類がそうであれば、今頃絶滅しているでしょう。

 

赤ん坊の時にそのようにされるからこそ、期待をするのが当然になってしまうのです。幼少期もその傾向が強いと思っています。それに慣れてしまうと、思春期になり、大人になっていくとき、その傾向が抜けきれず、他人に期待してしまい、そのせいで怒りなどの負の感情を感じやすくなってしまうのではないでしょうか。

 

また、今は、生まれた時から、私たちには様々な権利があると、マスコミが報道しています。もともと存在しない権利を、あたかも私たちは最初から持っていると錯覚してしまうのです。そうなると、期待してしまいます。私たちは何もしなくても、こういった権利を持っているのだから、行政が色々してくれて当然なのだと。私が権利を行使できていないのは、行政の不手際で、私は何も悪くないのだと。自分の行為を棚に上げて、他者を攻撃ばかりしてしまいます。

 

そうなると、待っているのは、怒りやイライラといった、負の感情だけです。

 

先にも述べましたが、負の感情の原因は、私たち自身の期待が原因だと思っています。期待さえしなければ、負の感情が生じることはありません。なぜなら、期待をしていなければ、その人がどのような言動をしようが、その人のありのままを受け入れるだけだからです。

 

それが、ある人にとってどんなに腹立たしい言動であっても、期待をしていなければ、受け入れることができます。そもそも、言葉で腹を立てるのを、私は馬鹿らしいと思っています。言葉は元をたどれば単なる音にすぎないと考えているからです。鳥のさえずりに対して腹立たしいと思いますか?

 

私は、非合理的な人間の馬鹿げた行動は、治ることはないと思っています。どうにか宥めすかして生きていくしかないと思っています。悲観的に見えるかもしれませんが、個人的にはそこまで悲観的ではないと思っています。なぜなら、宥めすかしていれば、徐々に徐々に、負の感情が減っていくからです。期待することが減ってきたということでしょう。

 

私が最も馬鹿だと思っているところは、私が、人間が馬鹿にできていると思っているのに、実はそのことを分かっていないところです。私が、人間が馬鹿で、非合理的な考えをすることを心底理解していれば、他人の言動により負の感情が生じることはなくなるはずです。しかし、私は、未だに他人の言動が原因で負の感情が生じることが多いです。無意識に期待してしまうのです。

 

確かに、以前と比べれば、負の感情が生じる機会は減りました。ですが、なくなってはいません。これからどれだけ経ったらなくなるか、見当もつきません。私は、今の考えを持つようになって半年です。今まで生きてきたうちのわずかな期間です。一日一日がどんどん良い一日になるよう、生きていきたいです。

 

ただ、「人は馬鹿にできているから」という考えのデメリットは、知らず知らずのうちに人を下に見てしまう傾向があることです。思考は言葉に、言葉は行動に、行動は習慣に、習慣は性格に、性格は運命に。は本当ですね。

 

題名にしといてあれですが、馬鹿というのは個人ではなく、人間の脳と心のメカニズムに対してのものだと思ってください。

題名は、「ありのままを受け入れ、期待するのをやめよう」の方がよかったかもしれません。