性格悪いと言われても、気にする必要はない
性格悪いと言われて、気にする人はいませんか?
私も以前は気にしていました。
いつもどおり生活していて、急に性格悪いとか腹黒とか言われたりする。
良い気はしませんよね。
ただ、何も気にする必要はありません。
その理由をこれから述べたいと思います。
① 良い悪いは、絶対的なものではなく、個人の評価にすぎない
良い悪いは、個人により、またそのときの状況により、常に変わるものです。
言ってしまえば、その受け取る人にとって、都合が良いかどうかです。
正解がないものに、思い悩んでもどうしようもできません。
② 悪口を言う人は、あなたに闘いを挑んでいることが多い
あなたの何かが気に入らなかったので、何か欠点はないかと粗探ししているのです。そして、欠点を発見したら、「性格悪いよね」などと発言するのです。
それに反応して反撃すれば、ずっと闘いが続くことになります。
言われても、「そうですか」と受け取ればいいのです。
反論する必要はありませんし、そもそも反論はできません。
その人がそう思っているのですから、私にはそのことを変えることはできないからです。
ただ、反論しなければ、周囲の弁えない人間は、事実なのだと勘違いすることがあります。
それが仕事に差し支えが生じたりするのであれば、一応、事実として自分がなぜそのように行動したのかを言うのもいいでしょう。
私は、一応言いはしますが、勘違いしたままでもいいと思っています。
勘違いした人は、ただ知らないだけだからです。気づきを得ていないのです。
なぜ、知らないことを、不快に思うことができるのでしょうか。
③ 人格否定をしているわけではない
あなたは性格が悪いなどと言われて、ひどく傷ついたかもしれません。
自分の全てが悪いと言われたと感じたかもしれません。
しかし、そうではないのです。
性格が悪いとは言っても、ほとんどは、ある特定の言動を指していることが多いと思います。
そして、ある特定の言動は、前述したとおり、言った人の都合の悪いことにすぎません。
悪口を言った人は、「あなたのその言動は私にとって都合が悪い」と言っているに過ぎないのです。
そして、その言動を改めろと、私に強制しているのです。
改めたほうが良い言動もあると思います。
しかし、言った人の自己中心的なものであることが多いと思います。
言った人は、無意識のうちに、世の中は自分が中心であると思っているのでしょう。
言った人もまた、気づきを得ていないのです。
いかがですか?
多少は楽になれたでしょうか。
苦しんでいる人の助けになれたなら、幸いです。