誤った信念 その1

1 ブログの目的

 私が持つ誤った信念により、負の感情(イライラ、怒りなど)が生じているので、その原因である誤った信念(思い込み)をなくし、日々を幸せに生きることを目的とする。具体的には、どのようなときに私が負の感情を持ち、それはどのような負の感情か、前提となる信念がどのようなものか、その信念への反論を言語化する。言語化することにより、予想以上に、こんなことでイライラして馬鹿みたいだなと思ったり、自分の醜さと対面することがある。これらを受け入れて、誤った信念をなくしていきたいと考える。なお、誤った信念とは、「~すべきである」といった考え全般を指す。

 

2 どのようなときに負の感情が生じたか

 週に一度、朝早くしなければならない仕事があるため、その日は一番早く出勤した。その日は少し忙しく、退社時間を少しだけオーバーして仕事を終えそうだった。そんなとき、後輩が定時に帰宅しました。このとき、負の感情が生じた。もっとも、定時に帰ったことだけが原因ではない。仕事中、私が持っている面倒だが重要な事務仕事があり、その仕事をしているときに、後輩が「何遊んでいるんですか」というような調子で話してきたので、このときに負の感情の一部ができたと思う。そのほかにも、日ごろの些細な積み重ねもあると思う。

 

3 どのような負の感情か

 「①こいつ、私に何も言わずに帰りやがった。一番早く出勤して仕事した上に、今も仕事しているのに、一言も声掛けせずに帰りやがった。②私が逆の立場のとき、いつも、部屋の人が忙しそうにしていたら声をかけてその人だけに負担がいかないように考慮しているのに。③それに、この後輩は何回同じことを教えても、いつも私に同じことを聞いてくる。挙句の果てには、聞いてない、俺は悪くないと私が聞いていないのに自発的に言い出す。覚えていないのなら仕方ないと思い、その度に穏やかに教えているが、どういう思いで仕事をしているのだろうか。そもそも、私が説明することは全て書面でマニュアル化されているので、書面を見たほうが正確だ。そのため、書面のありかを教えたり、分かりにくいところは私が新たな簡易マニュアルなどを作成して渡したりしているのに、それを見ずに聞いてくる。一体どういう神経をしているのか。④また、仕事中、急ぎで他部署に渡さなければならない資料があるのに、渡しに行く途中、平然と雑談をして渡すのが遅れる。なんてやつだ。」という連鎖した怒りでした。

 

4 誤った信念

 ①熱意を持って仕事をしている人には、礼儀を払わなければならない。

 ②同じ係の人はチームで仕事に取り組み、一人だけが忙しく仕事をすることは避けなければならない。

 ③人に聞く前に、自分で調べなければならない。人に質問するということは、その人の時間を奪う行為であるし、自分が質問をするときに、その問題をある程度理解していなければ、回答を本当の意味で理解することはできないからだ。それに、仕事に対し真摯に向き合っていれば、自ずと自分で調べることに行き着くはずだ。

 ④仕事中、自分の不真面目により他人に迷惑をかけてはならない。

 ③、④の信念は、以下の信念から派生したものと考えられる。

 ⑤仕事に対しては責任感を持ち、真摯に取り組まなければならない。

 

5 誤った信念への反論

 ①「熱意を持って仕事をしている人には、礼儀を払わなければならない。」に対する反論

 ・この信念は真実か?

 真実ではなく、私の好みにすぎない。

 ・この信念は現実的か?

 そもそも、どうやって熱意を持って仕事をしていると判断できるのか。それに、礼儀を払わなければならないわけではない。それは他者が決めることで、私が決めることではない。私にとって、適切な熱意を持って仕事をしている人は、尊敬の対象となるが、そうでない人もたくさんいるだろう。この信念は、私は熱意を持って仕事をしているのだから、「私に礼儀を払わなければならない」に帰結する。もしかしたら、それが目的かもしれない。私は私を尊重されることを求めているのかもしれない。しかし、他者から尊重されることを求める必要はないと考える。他者がどう思っていようが、関係ない。私は主観で生きている。主観で生きているのに、どうして他者がどう思っているか気にする必要があるのだろうか。

 人間は、些細なことで不機嫌になる。礼儀は、それを防ぐための潤滑油であると考えている。私は、そのことをよく知っているから、他人には礼儀を払っている。しかし、礼儀を払わない人は非常に多い。私からすれば、人間は些細なことで不機嫌になる馬鹿なつくりを持っている人が大半であり、そのことを経験上知っているはずの多くの人々が、礼を欠いた行いをしているのを見て、なんて愚かな人間が多いのだろうと思ってしまう。

 ②「同じ係の人はチームで仕事に取り組み、一人だけが忙しく仕事をすることは避けなければならない。」に対する反論

 ・この信念は真実か?

 そうではない。チームで仕事に取り組むべきだという決まりはない。確かに、チームで一致団結して仕事をした方が、組織にとっては健全であり、理想かもしれない。好ましいものであろう。だが、あくまで好ましい止まりであり、「しなければならない」という決まりはない。

 ・この信念は現実的か?

 チームで仕事に取り組む云々は、全く現実的ではない。なぜなら、そこには他人が入ってくるからだ。私が主体的にチームで仕事をしようと援助するのはよい。しかし、それを強制することはできない。できると思っているなら、その結果を非常に残念に思うだろう。残念に思うだけならよいが、あってはならないことと思ってしまうかもしれない。他人を変えることはできない。変えられるものと変えられないものを慎重に判断しよう。

 チームで一人だけ忙しいのを避けなければならないことは、現実的でない。手助けしてくれる人も大勢いるだろう。しかし、助けを求めても見て見ぬふりをする人も同じくらい大勢いる。この場合は、主体性を持つことを心がけよう。一人忙しく仕事をしているのは、私が選んだことだと。他者に責任を求めてしまうと、不健全な結果になることが多い。私は、仕事を投げ出すという選択肢もあった。しかし、その選択肢は選ばなかった。なぜなら、私が今することは目の前にある仕事だけで、他人がどういう状況にあるかは関係ないからだ。自分がすることに、他人が関係あるのだろうか。一人だけ忙しいことを気にしてしまうのは、平等ではないことを気にしているのかもしれない。しかし、世の中が不平等であることは、今に始まったことではないだろう。世間が権利権利言っている世の中であるから、それに騙さていないか。世の中は、どうしようもなく理不尽なもので、それは変えることはできない。なぜなら、世界は私を中心として回っていないからだ。すべてを私の好みにすることは不可能だ。私にできることと言えば、馬鹿げたことで不機嫌になる自分を、どうにかなだめすかすことくらいだ。もっとも、自分だけが忙しいのも限度があり、それが自分のキャパを超えているのであれば、他者に助けを求めたほうが良いだろう。現実的でないことをしようとしているのであるのだから。それでも助けてくれないのであれば、健全な道に進もう。負の感情に走るのではなく、自分がしたいことを成し遂げるためには今どうしたらよいのか考え、それを少しずつやっていこう。このときに、未来を考えてしまうと、不安になってしまうだけだ。それは建設的ではない。

 

⑤仕事に対しては責任感を持ち、真摯に取り組まなければならない。に対する反論

 ・この信念は真実か?

 違う。私自身が好ましいものとして掲げるのはよいが、真実ではない。責任感を持ち、真摯に取り組まなければならないという決まりはない。そのような思いを持たずとも、仕事自体はできる。

 ・この信念は現実的か?

 「~しなければならない」という形は全て現実的ではない。もし現実にそのようなことがあれば、そもそも、それ以外の行動はとれなくなるはずだ。そのようなことがない限り、この信念は現実的ではない。しかし、好ましくはある。人が幸福感を感じるのは、何かの役に立っていると思うときであるから、このような気持ちで仕事を行うなら、幸福感を感じることができるだろうから。気を付けなければならないのは、義務的な習慣になることだ。最初は主体的に行っていても、日が経てば慣れが生じ、いつの間にか機械的に、最初の思いを忘れ、主体性がない単なる習慣となることが、私は多い。最初はある思いを持ち、一定の熱量を持って謙虚に物事を行っていたが、いつの間に傲慢が顔を出した上、物事を機械的に行うだけになり、主体性も徐々になくなり、そのために負の感情が増えてくる。

 

6 補足

 「こいつ、私に何も言わずに帰りやがった。一番早く出勤して仕事した上に、今日は忙しかったのに、一言も声掛けせずに帰りやがった。」の部分は、うまく言語化できなかった。自分が仕事に対して真摯に取り組んでいるのに、そのように取り組んでいない後輩に対して怒りを感じたのだろう。誤った信念⑤に落ち着く。無意識のうち、他人に強制しようとしていた。結局、変えられないものを変えようとして、それがうまくいかず、身勝手にイライラしてしまったのだろう。イライラするだけの誤った信念は必要ない。

 

7 まとめ

 言語化する最中、なぜこれだけのことで負の感情が生じたのか疑問に思った。言語化すると、怒りが馬鹿らしく感じる。たったこれだけのことに怒るなんて馬鹿らしい。色々と怒りを感じることはあるが、おそらく言語化すると今回と同じような結果となるだろう。結論がそうなるであろうから、怒りがどんなに馬鹿らしいものか心の底から理解するようにしたい。