なぜ私は文句ばかり言う人にイライラするのか

私は、職場で「めんどくさい」などと文句を言いながら仕事をする人が嫌いです。

聞いていると、イライラしてしまいます。

自分の精神衛生上よくないので、どうしたら治るか検討しようと思います。

まず、どんなことを言ったらイライラするのかまとめてみます。

 

どんなことを聞いたらイライラするのか

 

実は、仕事を始めて、つい「うわっ、めんどくさ」と言ってしまうのを聞いても、イライラしません。

そのあとに、「したくねー」と聞いたら若干イラッとします。

でも、そのいい方に険がなければイライラしません。

「こんな仕事意味あるんですか?」と少しでも攻撃的に聞いてきたらさらにイラッします。

私が決めた仕事なら、理由を説明できるのでいいのですが、私が決めた仕事ではないからです。そのことを聞いた人もわかっているのに、私に攻撃的に聞いてくるのが理不尽だと感じます。

こう考えてみると、私がイライラするときは、人が負の感情を現わして、私に攻撃的な態度をとっていると私が思ったときだと分かります。

 

なぜ、私はこのとき、イライラするの?

 

私がイライラしたって、相手は変わりません。自分が不快な気持ちになるだけです。私がイライラする目的を探ってみます。

私はイライラすることにより、不快感を得ます。相手に攻撃的になることができます。

もしかしたら、私は、相手に反論し、自分の意見を押し通すために、イライラしているのかもしれません。私は、人が負の感情を持ちながら言葉を発するとき、一歩引き、不合理なことでもつい頷いてしまいそうになります。

私は、自身がそう思っているので、相手もそう思うだろうと期待し、自分で自分をイライラさせているのかもしれません。自分が攻撃的になることで、相手を従わせようとしているのです。

 

自分の意見を押し通す必要があるのか?

 

自分の意見を押し通す。言葉にしてみると、傲慢な気がします。

今回の場合、議題は「この仕事は必要なのか」です。

相手は必要なのかと問いかけながらも、実質は必要ないという答えが欲しいのです。それに対し、私は、「知らない」と答えます。

言い方は、投げやりに言いました。なぜ、投げやりに言ったのでしょうか。

きっと、投げやりに言わないと、更に質問が来ると思ったのでしょう。質問がくるのが嫌だったのです。

私は、「私は知らないから、私に聞いてこないで」という私の気持ちを押し通したかったのです。その意思表示のために、私は自分をイライラさせたのです。

しかし、投げやりに言う必要はあったのでしょうか。相手に不快な思いをさせるだけではないでしょうか。

自分の発言により相手がどう判断するか。そんなことは気にしなくていいと思います。それは相手しかわからないので、私が気にしても詮無きことです。

それよりも重要なのは、意見を押し通す必要もなにもないという事実です。

あなたがどう思おうが自由ですが、私はこう思います。それが正しいかどうかは分かりません。ただ私が思っているだけです。あなたがこの仕事を必要か不必要か知りたいのであれば、ご自由に調べてください。私は調べません。私はこの仕事は不必要ではないと思っているので、その調べる時間がもったいないです。

自分の意見を押し通す必要があるかなど考えず、ただ、自分の意見を言えばいいだけです。押し通すという意志は必要ありません。そこに傲慢さや負の感情は必要ないのです。

 

まとめ

 

職場で「めんどくさい」などと文句を言いながら仕事をする人が嫌い。イライラをなくすにはどうしたらいいのか。ということでこのブログは始まりましたが、検討してみると、予想外の様々なことが分かりました。

① この人は私に対して負の感情を持ち、かつ私に攻撃的であると私が主観で思ったとき、事実はどうであれ、私は負の感情を持つ。

② そして、実はその負の感情を持ったのは、私が相手にイラついたのが原因ではなく、口論で相手を負かして自分の思うとおりにさせてやるという目的からきている。

③ そうであれば、私は、負の感情を持つ必要はない。なぜなら、世界は私が中心でできていないから、相手を自分の思うとおりにできるという事実はないからだ。

④ 自分の思うとおりにさせてやると思うことは、相手を敵とみていることを示す。そして、ある分野について上下関係のどちらにあるかをはっきりさせようとしている。しかし、人に上下などない。組織にいると構成上上下関係ができ、それが世界の真理のように見えてしまうが、事実ではない。組織を出て、もっと大きな構成体で考えてみよう。人類に上下はあるか?一人ひとりの人でしかない。私はよく幻想にかかってしまう。私は謙虚に生きるくらいがちょうどいい。

⑤ 他者を仲間だと思う。慈しみの心で、心を平静にしよう。