私に良くない態度をとる人には、慈しみの心を持って接しよう

最近、仕事で人間の身勝手さを感じることが多くなりました。

私一人が休んでも何ら影響がないのに、本心では休むことに反対している上司。きっと俺は忙しいのに休みやがってとでも思っているのでしょう。その仕事を私がすることはできないのに。もっとも私がそのことを察しながら休んでいることにもいら立っているのでしょう。

私が後の人のために事務処理を終わらせたのに、何の礼も言わない同僚。さらに、私が休む時には嫌そうな顔をする。私が引き継ぐ仕事は何もなく、あるのはチーム全体としての仕事だけで、それも十分私がいなくても回る仕事なのに。

こう書いていく中で、私はあることを思いました。

私は仕事をするとき、効率よくすることに重点を置いています。そして、個人の仕事だけを効率よくすることだけでなく、チーム、引いては組織全体として効率よくすることを考えてしまいます。簡単な書類の引継ぎなど、本来であれば私がする仕事ではありませんが、本来する係が多忙で余裕がない時は、私が定時までの時間に余裕があり、私が各職員にその書類を引き継いでも支障がない場合は、私はよくその引継ぎを行います。ただ、そのことは、私以外にそのことができる人がたくさんいるわけです。そうすると、その人たちにとって、私は余計な仕事をしていることになります。私がしたせいで、していない人が悪いというように周囲から見られると思ってしまうのでしょう。ただ、そう思うことは私は馬鹿だと思うので、その人たちのことは無視します。そもそも、私が勝手にやっていることであるので、周囲の人たちに何の関係もありません。

話を戻します。私は、おそらく、仕事がない時は休むのが一番効率的だと思っています。だから、仕事がなければ休むのです。しかし、仕事がないのに休まない人はたくさんいます。その人たちの言い分は、○○があるから休めないとでも言うでしょうが、それは、本当に当日しなければならないか、他の職員に任せて差し支えない仕事ではないかなど突き詰めると、実際は休めないことはないことの方が多いと思います。ただ、実際にそこまでして休む人はあまりいないと思います。そのため、そこで休む私が、あまり周囲の人間にいい印象を抱かせないのでしょう。

ただ、ここで忘れてはいけないのが、正直言って、私が他の職員より仕事をきちんとしていることです。これは、うぬぼれではなく、事実です。私は、仕事をしていく中で、繰り返し行う仕事や簡略化できる仕事を意識的に探しています。そして、その都度簡単に書類を作成することができるようにしています。常にバージョンアップしているわけです。ある仕事に様々な書類が必要だと分かれば、それを分かりやすくまとめます。最初は他の職員より多くの時間をかけます。しかし、二度目以降は他の職員より短い時間で仕事を終えることができます。また、仕事の終わりから逆算して考えているので、仕事の最後の方で、必要書類を忘れていたということもありません。比較的時間が空いているときに、自分がしたことのない仕事を調べたりして、情報収集なども行っているので、そのことが役に立っています。

しかし、残念ながら、そのことがさらに他の職員によく思われない原因かもしれません。自分が優秀だと自慢して、見せびらかしているのかと思っているのかもしれません。ただ、そう思う人は、自分に自信がない人たちです。自分に自信があれば、私がいくら休もうが、なんとも思わないはずです。単に、仕事がなくて休めるんだな、と認知の歪みなく、ただそのことを思うだけでしょう。

私に対しあまりよくない態度で接する人には、慈しみの心を持って接しましょう。その人は、余裕がないのです。認知がゆがんでいるのです。大変なのだと、慈愛の心で接しましょう。その人も、苦しんでいるのです。